所功博士『天皇の歴史と法制を見直す』

所功博士『天皇の歴史と法制を見直す』

所功博士著『天皇の歴史と法制を見直す』を読む

 所功博士(以下「著者」)の新著(令和5年6月30日発行・藤原書店)、『天皇の歴史と法制を見直す』(以下「本書」)を手にした。本書は、本文380頁・付録30頁に及ぶ大著、浩瀚な一書である。目次は以下の通り。

  はじめに――天皇・皇室への関心
  序「天皇」「皇室」とは何か
  前篇 歴代天皇の継承と宮廷文化
   第一章 記紀「神話」の建国物語
   第二章 ヤマト朝廷の「マツリゴト」
   第三章 飛鳥・奈良時代の「女帝」
   第四章 平安から幕末までの天皇
   第五章 明治以降の天皇・皇后と皇族
   第六章 近現代の主要な宮廷文化
  後編 近現代の法制度に見る天皇
   第七章 明治の『皇室典範』と皇室令制
   第八章 戦後の憲法と新『皇室典範』
   第九章 皇室関連法の整備と典範改正論
   第十章 『皇室典範特例法』と「付帯決議」
  むすび――立憲君主制の長所
  あとがき――〝天長地久〟への願い
  付録 Ⅰ 歴代天皇の略系図
     Ⅱ 歴代天皇の略年譜
     Ⅲ 図表一覧
     Ⅳ 人名索引
     Ⅴ 皇室関係の拙著一覧

 前篇は、「歴代の天皇が皇位を継承されてきた実情と、その間に形成された『宮廷文化』の実像を概説」、後篇は、「その天皇・皇室を近現代法の中に規定してきた『皇室制度』の実態を概観」(序「天皇」「皇室」とは何か)されている。
また、「見直す」という用語は、「史実・現実を再認識すると共に、その意義・真価を再発見することも意味」(はじめに――天皇・皇室への関心)し、著者の著述の目的と姿勢がこの用語に示されている。
 ここに描かれるのは、千数百年におよぶ、日本国における皇室の在り方の歴史・変遷と、立憲制を継受して以後、「近現代法」に規定されてきた皇室のあり方、さらに、先の大戦の敗北という大変を経て成立した現行憲法・現行皇室典範のもとでの現在の内実、その問題と課題におよぶという膨大な内容である。

 現在直面している法的・制度的における深刻な問題は、現行「皇室典範」が有する皇位継承に関する規定の構造的・根本的な欠陥であり、その速やかな克服は急務である。

 このことについて、

     このような状況を克服するにはどうすればよいのでしょうか。       

 「その重要な手懸かりは、千三百余年来の在り方と、百三十余年 来の近代的な在り             方方を振り返ることによって、本質的に受け継 ぐべき事と、現実的に改め補うべき事とを考えてみることだと  思われます。」(序)

と、根本的で重要な視点を示している。正確な知見に基づかない考察や議論は不毛であり有害でもある。本書は、まさにこの要請に応えることを意図して執筆され、多彩な視点から、国家における皇室の位置を明らかにし、今、何を受け継ぎ、どのように改め補うべきかについて、検討の前提となる、正確で豊富な情報を提示してくれている。

 この大冊の〝帯〟には、「皇室史の全体像に迫る最新作!」とのコピーがある。この表現、まことに真をついたものと共感し納得する。
 さらに、「なるべく判り易いように語り口調で書きました」(はじめに)という著者の配慮はありがたい。いわば、網羅的な〝読む皇室百科事典〟であり、読者は、目次によって、その時知りたい事項を読むことができる便利な一書でもある。今ほど、皇室についての正確な情報・知識が求められている時はない。本書は、まさに時代の要請に応え、広く皇室理解と皇室問題解決のために大きな役割を果たすものである。

 このように、多彩で豊富な内容の大著であれば、何名かの専門家の分担執筆によることが普通である。本書が、著者一人の書き下しであることに驚嘆する。それだけに、著者の学識・思想が、全篇を貫いて読み取れることは大きな魅力である。


 本書の膨大な内容を詳述することは不可能だ。ここでは、次の二点にしぼり、感想を記すことにする。

1 史上における、「女帝(女性天皇)」の存在について

 わが国は、古代よりシナ・朝鮮などと密接な交流を持ち、東アジアの一角に国を成してきた。特に、シナの影響は大きかったけれども、それらとは特立して独自の政治・文化を展開してきた。その一つが、女帝(女性天皇)の存在である。

 本書第三章は、「飛鳥・奈良時代の『女帝』」と題されている。その結論は、

    「 この時期に関していえば、女帝は例外でも単なる中継ぎでもな く、飛鳥・奈良時代の政治も文化も、女帝を除いては成り立ち ません。」(47頁)。

また、
    「 飛鳥時代には、東アジア史上で初めての「女帝」が出現し、ま た一たん譲位してから再び皇位に即く「重祚」の初例も実現しています。それは必ずしも特異な例とみなされず、むしろ必要 があれば女帝を立て重祚も認める状況にありました。それゆ え、奈良時代にも女帝が続き、重祚も行われていますが、これ また他国では例をみません。」(53頁)

 具体的には、「1 推古天皇の登場と聖徳太子の摂政」、「2 皇極=斉明と孝謙=称徳の重祚」、「3 持統女帝と元明・元正両帝の役割」、「4 新羅の三女王と唐の一女帝との比較」の四節で論証される。

 明治の『皇室典範』が、皇位継承資格を「男系の男子」に限るとし、典範の『義解』に「推古天皇以来、皇后・皇女即位の例なきに非ざるも……幼帝の歳長ずるを待ちて位を伝へたまはんとする権宜に外ならず」、「後世の模範と為すべからざるなり」としている点について、

    「 推古天皇も称徳天皇も、『幼帝の歳長ずるを待』つまでの単な る『権宜』(臨機の措置)ではありません。それゆえに、江戸 時代まで皇位の継承者を「男系の男子」に限るような議論は、ほとんど見当たりません。」(「第七章 明治の『皇室典範』と 皇室令/2『皇室典範』の「皇位継承」原則・241頁)

と明快に論断される。

 現今、皇統護持のためには、現行の『皇室典範』の改正が必須であるが、これを阻止して一歩も前進できないようにしているのは、〝男系男子原理主義〟という奇怪なイデオロギーであるが、その論拠の一つが、この明治典範の『義解』の論理である。
 本書の論証は、この硬直したイデオロギーの打破に絶大な意味を持つものである。

2 「天皇」の和訓「スメラミコト」

 およそ変化のない歴史はない。歴史とは変化の集積である。大和の地方に、小さな王権が立ち上がったのを3世紀として、それから1700年以上の長き歳月、皇室はこの国の中核に位置し続けた。

 大化改新から律令制の確立による太政官政治、その変形としての摂関政治・院政、さらに、武家主導時代への移行へと、わが国の政治体制は実にドラスティックな変貌を遂げた。その間、様々な政治勢力が興亡盛衰を繰り返した。しかるに、皇室は国の中核の位置を保ち続けた。歴史学は、このことを容易に説明する力を有してはいない。しかし、その解明の手懸かりとなる視点・観点は幾つもあるだろう。

 筆者が、本書から得た貴重な示唆は、漢字で「天皇」の〝和訓〟についての解説である。
 『令義解』『令集解』によれば、「『スメミマノミコト』(皇御孫命)とか『スメラミコト」と読むことになって」いたのであるが、

     「それでは、この「スメラミコト」とか「スベラギ」「スベロ ギ」という和語に、どういう意味があるのでしょうか。諸説を 参考にして管見を申せば、「スメラミコト」は、「澄める尊者(みこと)」であり、代々の天皇が神々を祭り人々の心を清め るということです。しかも、「スベロギ」ともいわれるのは、 多くの人々を『統べ治める大君』だからです。つまり、この和 語は、天皇が神々を祭り人々を治める格別に神聖な統治者であ ることを表現したものと思われます。」(序・16頁)

と説明されている。
 すなわち、天皇は、「澄める尊者(みこと)」であって、「統べ治める大君」でもある。その天皇のお立場は、この国の〝古伝〟によれば、天津神の「言依さし」にある。天皇の祭りは、祖神への「かへりごと申す」最も重いお務めである。

 この長い歳月、歴代の天皇は、その政治的位置の激しい変動の中にあっても、この「スメラミコト」としての根源的お立場を揺るがせにされたことはなかった。本書は、それを丁寧に明らかにしている。

 例えば、南北両朝の合体間もないころ、後花園天皇、および天皇の父君である伏見宮貞成(さだふさ)親王のお姿を、

    「 けれども、天皇と身近な方々は、スメラミコトにふさわしい 資 質を高め、役割      を果たすことに務めておられます。」(107頁)

と、貞成親王のご教訓、後花園天皇の、寛正2年(1461)西日本大飢饉に際して将軍足利義政へのご教誡を紹介している(107頁)。さらに少し下って、天文9年(1540)全国的な飢饉に際して、後奈良天皇、「民の父母」のご自覚に基づく宸筆ご書写の『般若心経』ご祈祷のこと(108頁)。等々。
 
 また、「5 安土桃や時代と江戸時代の天皇」においては、

       「このように安土桃山時代の天皇は、天下統一を目指す武将た ちに翻弄され、都合よく利用されたかにみえます。しかし、信長が右大臣、秀吉が関白・太政大臣になっても、自ら天皇 となるようなことはありませんでした。それは代々の天皇が 皇胤(皇統子孫)としての伝統的な権威だけでなく、国風の 王朝文化を体得し表現する至高の教養人としての信望を兼ね 備えておられたからだと思われます。それが江戸時代の天皇 に受け継がれ、ますます盛んになります。」(111頁)

と指摘されている。

 皇室が、国史を貫いて国家の中核としての位置を保ち続けてきたのは、単なる伝統的〝権威〟によるものではなく、このような歴代の、厳しいご自戒・ご修養、常に穏和で抑制されたご姿勢によって成る〝德〟が、厳然として在り、それが犯しがたいものとして仰がれ、むしろ憧れとしてあったからであることがわかる。

 日本の君主制の特質の一つ、また日本国の特質は、皇室が〝徳の源泉〟、また〝文化の源泉〟として存在し続けたこと。そして、この 〝徳〟と〝文化〟は、自ずから宮中から流れ出、広く国民の間に流布し、皇室と国民がそれを共有し、ともに〝徳の国〟を目指してきたのだと、本書を読んでしみじみと感じたのである。

 本文の外にも、行き届いた資料が豊富であり、時々にここから学ぶことは多いであろう。本書の上梓を、国家のため心から祝いたいと思う。

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